遠野和紙の歴史
遠野における紙漉き立地の創始については、
10世紀半ばの「西宮記臨時二」に「陸奥紙」の名称で登場する。
享保19年(1743年)
入下村(現在の入遠野の南半分)で、実農家140軒の内69軒が紙漉きを兼農
下根本村(現在の根本)で、実農家132軒の内37軒が兼営していた
寛政期(1789~1800年)
遠野全域にわたり紙漉きが発展、繁栄していた
明治5年(1872年)
「百姓の職業の自由」にて「紙楮会所」が撤廃。
これにより各地での紙漉き農家が増大
明治20年(1887年)
400軒近くの漉き屋で年間10,000締(1締2000枚)の生産が
可能なほど隆盛していた。
明治30年代(1897~)
洋紙及び機械漉き紙製品に侵食され始める。
漉き屋は生産の縮小を余儀なくさせられた。
明治40年(1907年)
常磐炭鉱が設立、大正7,8年には最盛時代になる。
炭鉱の抗木材の需要から製材業が発生
急激な紙需要の減退に伴って生産の縮小を迫られている。
保存継承事業
平成12年 遠野町地域づくり振興協議会にて遠野和紙継承事業立ち上げ
平成14年 遠野オートキャンプ場にて従事スタッフ養成
平成17年 いわき遠野匠の業継承実行委員会が発足
平成20年 磐城手業の会発足。匠の業事業を継承
平成22年 瀬谷家が和紙製造業を廃業
磐城手業の会により、遠野和紙製造を継承